〔各御社殿について〕  
御本殿は大宝元年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397年)の建造にかかり、天文11年(1542年)大修理を施したものです。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りで松尾造りと称せられています。
箱棟の棟端が唐破風形になっているのは他に類例がなく、柱や長押などの直線と屋根の曲線との調和、木部・桧皮の色と柱間の壁の白色とが交錯して醸し出す色彩の美しさ、向拝(ごはい)の斗組(ますぐみ)・蟇股(かえるまた)・手挟(たばさみ)などの優れた彫刻意匠は、中世の特色を遺憾なく発揮しており、重要文化財に指定されています。また本殿につづく釣殿・中門・回廊は、神庫・拝殿・楼門と共に江戸初期の建築と云われています。
社務所玄関から御本殿 御本殿 南側より
〔境内末社〕 〔楼 門〕
境内末社は本殿南側境内に、衣手社、一挙社、金刀比羅社、祖霊社の四社、神饌所裏の御手洗川岸に、四大神社、三宮社、滝御前社の三社があります。
下の画像は平成22年2月に執された北末社遷座祭の模様です。
左右に随神を配置したこの楼門は江戸時代初期の作と言われております。この楼門の随神の周囲に張り巡らせた金網には、たくさんの杓子がさしてありますが、これはよろずの願い事を記して掲げておけば救われると言う信仰に依るもので、いわば祈願杓子とも言われております。
平成22年2月 北末社遷座祭 風景 楼門 風景
〔脇勧請〕
赤鳥居の上部に柱と柱を結ぶ注連縄があり、それに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下っていますが、これは脇勧請と称されるもので、榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしとなっています。この形は『鳥居』の原始形式を示すもので、太古の昔、参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったとされています。現在では、示す詳しい資料なども現存せずその占いの方法や仕方などはほとんどわかりませんが、占いによって月々の農作物などの吉凶を判断していた太古の風俗をそのまま伝えているので、民俗史学上も貴重な資料とされています。
脇勧請 1月 脇勧請 12月
年始=真新しく“榊”がかかげられた状態 年末=“榊”がかなり枯れた状態
[境外末社のご紹介]