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| 〔松風苑(しょうふうえん)三庭について〕 |
| 当松尾大社の松風苑三庭は、現代庭園学の泰斗・重森三玲氏(明治29年から昭和50年)が長年にわたる庭園研究の奥義を結集し、この地上に残す最高の芸術作品として、全身全霊を傾注して造られた庭園です。 |
| 総工費1億円、三庭に用いられた四国・吉野川産の青石(緑泥片岩・りょくでいへんがん)は200余個、丸1年の工期を経て、昭和50年に完成した昭和の時代を代表する現代庭園です。 |
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| 〔上古(じょうこ)の庭〕 |
| 遠く昔、上古の時代には、どの場所にも神社も社殿もなく、山中の巨岩などが神霊のやどる聖地とされており、その場所を磐座(いわくら)、或いは磐境(いわさか)と言います。 |
| 当松尾大社でも今から千三百年前の昔、大宝元年(701年)に現在地に御本殿が建てられる以前は、神社後方の松尾山々中頂上近くにある磐座で祭祀が営まれており、この古代祭祀の場である磐座を模して造られたのが本庭です。 |
| 庭の奥、中央に巨岩二つは、当神社ご祭神の男女二柱を、ミヤコザサは人の立ち入れない高山の趣きを、そしてこれを取り巻く多数の石は、随従する諸神の姿をそれぞれ巨岩によって象徴しております。 |
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| 〔曲水(きょくすい)の庭〕 |
| 曲水の庭は、王朝文化華やかなりし平安貴族の人々が、慣れ親しんだ雅遊の場を表現したものです。 |
| 当大社は平安時代、京の都を守る神様、すなわち北の「賀茂の厳神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称せられて隆盛を極めており、当時の時代背景を顕わして、艶やかな中にも、気高い当時の面影を内に秘めて、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらからみても八方美の姿が本庭の特色です。。 |
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| 〔蓬莱(ほうらい)の庭〕 |
| 蓬莱とは、不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想が鎌倉時代に最も流行し、これが作庭技術にも採用されて来ました。 |
| 鎌倉将軍「源 頼朝」は、当神社に対し神馬十匹・黄金百両を献じて深い尊信の念を捧げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治の時代まで続きました。 |
| 本庭は、その鎌倉期に代表される回遊式庭園を取り入れたもので、全体が羽を広げた鶴を形どっており、池泉の周囲を巡り池に浮かぶ島々を眺めて、もしも自ら仙界に遊ぶ境地に到達されたなら、鑑賞者の心と作庭家の心とがその時こそ一致した時だと思われます。 |
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