境内のご案内

  1. ホーム
  2. 境内のご案内
  3. 摂社・末社

摂社・末社

[摂社:月読神社]

京都市西京区松室山添町 鎮座

御祭神は月読尊。日本書紀によれば、顕宗天皇の三年(487)、阿閉臣事代という者が任那に使した時、神のお告げを受けたので、京に還ると天皇に奏上して、山城国葛野郡の荒樔田の地(桂川沿い、現在の上野辺付近)を神領として賜り、月読尊を祀る神社を創建し、壱岐県主・押見宿祢が神職として奉仕したと伝えています。押見宿祢の子孫が(卜部姓)代々神職として世襲しましたが、文徳天皇の斉衡三年(856)に水害の危険を避けて、松尾山南麓の現在地に移り(文徳実録)ました。貞観元年(859)正二位、延喜六年(906)正一位勲一等の神階に進まれ、延喜式では名神大社に列しています。全国屈指の名社ですが、当松尾大社の勢力圏内にあるため、古くからこの松尾大社の摂社とされてきました。境内には聖徳太子社・御船社・月延石があります。聖徳太子社は月読尊を敬祭された太子の徳を称えて祀ったとものといわれ、御船社は、天鳥船神を祭神とし、毎年神幸祭の前に渡御安全祈願祭を執行する末社です。月延石は安産石とも称し、神功皇后が腹を撫でて安産せられた石を、月読尊の神託により、舒明天皇が伊岐公乙等を筑紫に遣わして求められ、当社に奉納されたという伝説(雍州府志)があり、古来安産の霊験を慕ってお参りされる人が多い神社です。現在は、「戌の日」に安産の特別祈祷をいたしており、祈祷後「安産祈願石」にお名前をお書きいただき、月延石の前にお供えしてお参りをしていただいております。

[摂社:櫟谷宗像神社]

京都市西京区嵐山中尾下町 鎮座

現在は、二社同殿で御鎮座されており御祭神は、櫟谷神社が奥津島姫命、宗像神社が市杵島姫命になっている。この二神は異名同神(紀の一書)と見られていますが、天智天皇の七年(668)筑紫の宗像から勧請されたものと伝えられています。櫟谷神社は嘉祥元年(848)従五位下、貞観十年(868)正五位下の神階を授けられた延喜式内社であり、宗像神社は、貞観十二年葛野鋳銭所に近き故を以って新鋳銭を奉納されていたことが三代実録に見える由緒ある神社です。両社とも大堰川(桂川)の水運の安全を祈って祀られたものと思われ、明治十年に当松尾大社の摂社となりました。

[西七条御旅所]

京都市下京区西七条南中野町 鎮座

御祭神は松尾大神で、名称の示すように松尾祭の神輿の御旅所となっております。創建は平安時代末期の史料にすでに見られ、元々は西七条地区に三ヶ所の御旅所があったのが、明治になってからは現在の地に定められました。江戸時代には幕府より二百余石の朱印地が与えられていました。

[末社:朱雀松尾總神社]

京都市下京区朱雀裏畑町 鎮座

御祭神は月読尊で、往古より松尾祭の還幸祭の道行きに際し、六基の神輿の御旅所とされています。

[末社:三宮神社]

京都市右京区西京極北裏町 鎮座

大宝年代の創建といわれ、玉依姫命を祀っていたが、のちに大山祇神・酒解神を合祀して三宮社と称したと伝えられ、川勝寺地区の産土神です。松尾祭には、三宮社の神輿の御旅所となっています。

[末社:衣手神社]

京都市右京区西京極東衣手町 鎮座

祭神は玉依姫命・羽山戸神。古くからの郡(こおり)の産土神三宮神社に、明治八年本社の境内末社衣手社(羽山戸神)を合祀し、衣手社の神輿の御旅所として、明治十一年末社衣手神社と改称したものです。松尾祭には、衣手社の神輿の御旅所となっております。