祭典・行事

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「上卯祭(醸造祈願祭)」11月 上卯日
「中酉祭(醸造感謝祭)」4月 中酉日

古来より、卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味していると言われ、酒造りは「卯の日」にはじめ、「酉の日」に完了する慣わしがあり、お酒造りにかかわる祭りの日取りもこうした昔からの慣習によるものであるとされています。稲刈りが終わり新米ができる秋、つまりお酒造りの始まる季節、毎年11月上の卯の日に執り行われる醸造安全祈願のお祭りが『上卯祭』で、このお祭りでは全国の和洋酒、味噌、醤油、酢等の醸造業はもとより、卸小売の人々も参集し、盛大に醸造安全を祈願し、守札としての大木札(だいもくさつ)を受けて持ち帰り、各々の蔵に奉斎し、お酒造りをはじめる慣わしとなっております。また年明けて、春を迎え、4月の中の「酉の日」には、醸造完了を感謝する『中酉祭』(ちゅうゆうさい)が執り行われます。また当社では、千歳講という明治時代からの講が結成され、この講員に対しては一年を通して、醸造安全、家内安全、業務繁栄等の祈願が毎朝欠かさずなされています。

〔酒神の由来〕

松尾大神がなぜ“醸造祖神”として普く世の人々に仰がれ給うのか、諸説有る中、当社の故事によれば…、「神代の昔、八百萬神々が分土山(松尾山)に集い給いて神議りをなされた。しかし、当時はまだお酒と言うものがなく、そこで松尾大神が付近一帯の山田の米を蒸し、御手洗の泉より涌き出る清らかな水を汲み、一夜にしてお酒をお造りになり、大杉谷の杉の木でこしらえた器で、諸神を饗応せられると、『盡せしな甕の酒を汲上て豊の圓居をするそたのしき』と、諸神等はうたわれ大いに喜ばれ給うた。」とあることに由来するものと言われています。

〔上卯祭の起源〕

この祭りの起源は、中世から近世特に江戸時代、産業経済の発達、交通機関の整備等により、全国各地の醸造家から盛んに奉納されていた“太々神楽”に由来するものと思われます。この“太々神楽”奉納について当時の文献には、造り酒屋の旦那衆の松尾大社参詣の道中の模様を記したものが各地に残されており、とりわけ、11月の“もと始め”の季節ともなると、全国各地から醸造家の方々が陸続と参詣し、太々神楽をご奉納され、醸造安全の祈願をされていたことが、当社の日次記などに残されています。以上のことから、この祭りの起源とは、個人や講、組合などから、酒業繁栄の願いを込めて奉納されていた“太々神楽”を、当社の故事や酒造りに縁の深い“11月の上の卯の日”に取り纏め、一段と盛大に“祭典”を執行し、松尾大神の御神慮を慰め奉り、より一層尊い御力を戴きたい、としたことに他ならないと思われます。

〔上卯祭と大蔵流狂言『福の神』〕

祭典中、茂山社中より奉納される狂言「福の神」は、松尾大神に縁りの深いものです。「大蔵家中興の祖」と言われる“大蔵弥右衛門虎明”(1597~1662)が、祖父“虎政”(1598没)伝来のものを相違なく伝え、大蔵流最初の台本である「虎明本」の中に…、『脇狂言之類 福の神(中略)惣じて松尾の大明神が神々のさか(酒)奉行である、其故に先松尾へしむ上せいでは神々のうけとらせられぬよ』とあります。すなわち、虎政の活躍した室町時代末期から安土桃山時代にかけて、すでに松尾大神が酒奉行である(醸造祖神)と、普く世の人々に信仰されていたことを芸能史の上からも知ることができます。